郷土の未来をつくるコミュニティペーパー(山形県庄内地方の地域新聞)
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歴史・景観・暮らしは交流増やす資源
本紙主催新春座談会「住民参加のまちづくりで市街地再生」③

 本紙主催新春座談会の連載3回目。鶴岡、酒田両市の市街地では交流・観光拠点となる各種施設が充実してきているが、そこから線、面へと広がりを持たせ、交流人口を増やすためには、中間点の開発や催しが必要であり、郷土の歴史や方言、住民の暮らしなどが大切な資源となることを話し合った。司会は本紙編集部の菅原宏之と土田哲史。

國井 英夫氏

(株)庄交コーポレーション代表取締役社長
國井 英夫氏
1950年鶴岡市生まれ。明治大学卒。1974年(株)荘内銀行入行。2009年(株)同行代表取締役頭取兼頭取執行役員。2016年庄内交通(株)取締役会長、(株)庄交コーポレーション代表取締役社長に就任。山形県観光物産協会副会長。

髙橋 剛氏

(株)丸高代表取締役社長
髙橋 剛氏
1956年遊佐町生まれ。武蔵工業大学(現東京都市大学)大学院修了。1981年山形県入職。1988年株式会社丸高に勤務。2008年代表取締役社長就任。旧清水屋エリアを核とした中心市街地再生協議会会長。

西村 修氏

仮設機材工業(株)代表取締役
西村 修氏
1960年酒田市生まれ。2009年4月仮設機材工業(株)代表取締役就任。酒田商工会議所副会頭。酒田まちづくり開発(株)代表取締役。NPO法人パートナーシップオフィス理事長。

阿部 等氏

(有)阿部久書店代表取締役
阿部 等氏
1961年鶴岡市生まれ。中央大学卒。NPO公益のふるさと創り鶴岡常務理事を務め、中心市街地の活性化や内川の環境整備などに取り組む。鶴岡山王商店街振興組合理事長、山王まちづくり(株)執行役員。

矢野 慶汰氏

(有)若葉旅館専務取締役
矢野 慶汰氏
1976年東京都生まれ。米アリゾナ大学行動社会科学部卒。卒業後、海外秘境専門の旅行代理店勤務。2015年結婚、酒田に移住。若葉旅館専務取締役、酒田商工会議所青年部副会長、酒田市国際交流協会アドバイザー。

温井 亨氏

東北公益文科大学教授
温井 亨氏
1958年東京都生まれ。東京大学で風景計画と建築を学ぶ。東孝光建築研究所を経て、イタリア政府給費留学(ミラノ工科大学)。帰国後、(株)シープ・ネットワークで長浜市の中心商店街再生等を担当。2010年から公益大に。

水辺が見えない港の観光拠点

司会 酒田市では市街地再開発が動き出しているが、市街地のまちづくりについてどう見ているか。
温井 石川栄耀(1893~1955)をご存じだろうか。実は、都市計画学会賞は石川賞という。都市計画ができた時の最初の内務省官僚で山形県出身。都市計画調査のため1923年から約1年間の欧米視察をした折、田園都市の設計者で都市計画の第一人者だったアンウィンに、担当していた名古屋市の都市計画図を見せたところ「君たちの計画には人生を欠いている」と言われたそうである。
 湾岸のほとんどが工業地帯であることの指摘だった。産業は大事だが、それは人間の文化生活の基礎でしかない、いわば文化の召使いである。「あなた方はサーバント(召使い)に客間と茶の間を与えようとしている」と批判されたというのだ。
 それを酒田に当てはめて考えると、ほとんど違いはない。飛島定期船の乗り場に行ってみるとよい。水辺にある点ではベネチアのサン・マルコ広場と同じ、広さも同規模なのだが、単なる駐車場になっている。もっと問題なのは、肝心の水辺が見えないこと。海鮮市場と海洋センターの建物が立ちふさがって隠している。
 この問題を考えようと、市民や地元建築家の皆さんに声を掛けて「まちづくりデザインスタジオ」という講座を開いた。約1年かけて水辺を調べ、酒田の水辺を設計提案してもらった。それがつながったかは分からないが、本港から山居倉庫にかけて、さまざまなプロジェクトが動いている。

中心市街の回遊性実現に期待

温井 次に市街地開発全般について述べたい。私はこれを点・線・面の展開として見てみたいし、それが必要だと申し上げたい。
 酒田の場合、点については成果が上がってきていると思う。先日の土曜、小幡楼に寄ったらにぎわっていて感心した。ずっと閉まっていた公園の軽食もとれる休み所も日和山関所という名前でオープンしていて、相乗効果でにぎわっていた。
 小幡楼は保存して良かったと思う。建築として優れている、文化財として価値があるだけではなく、都市としての潜在的な可能性を持った場所だったからである。小幡楼に来た人はそのまま帰ってしまうのではなくて、何割かは周りを歩く。日和山公園を散策したり、日枝神社や海向寺にお参りしたり、あるいは芭蕉坂や神明坂を下って出町や船場町、港の方へと足を向ける。にぎわいが都市に広がっていく、そういう場所。他にも山居倉庫や商業高校の跡地、駅前など、点の整備は十分な域に達しつつある。
 鶴岡も充実している。致道館や致道博物館、カトリック教会、風間家丙申堂など国指定の文化財が固まってあるし、新しいところでは藤沢周平記念館や鶴岡アートフォーラム、文化会館など優れた現代建築もある。新百間堀と東北公益文科大学大学院も立派なものだ。
 では次に線はどうだろうか。両市とも物足りない。酒田は夢の倶楽に来る観光客を中心部に引き込むことを早くから考えていて、山居橋、川辺の館、奉行所跡を整備して、そこから本間家、中町へ続く道路の端を石畳にして誘導する仕掛けをつくった。しかし残念ながら歩いている人を見たことが無い。途中に立ち寄れる場所があれば歩く人もいると思うのだが、何もないので歩こうという気をそそられないのだろう。
 ここは酒田大火で焼けていないので町家も残っている。川岸の庶民的な家だから小幡楼のように費用もかからず、ちょっと休めるように改修すれば、それ自体が歴史的建築だから興味もひく。効果は大きいと思う。
 その後も中心市街地活性化計画などで回遊性はうたわれているものの、いまだに実現していない。ただ、西村さんが合同会社とびしまと一緒に、酒田消防署本署跡地と本港の東埠頭交流施設、それに船場町の旧家坂邸を手掛けるということなので、既に屋台村でにぎわい創出に成功しているのだから、初めて酒田の中心市街で回遊性が実現するのではないかと期待している。
 鶴岡は文化財の建造物が中心部の狭い範囲に集中している。しかし、そこから商店街へ人が流れて行っていない。城下町の狭くて曲がった小路、車には不便だが歩くには魅力的な道があるにもかかわらず、歩いている人は見掛けない。鶴岡にはそうした小路などに自ら作って売っている菓子店がいくつもあって、特に雛菓子の季節など巡りながら歩くと楽しいと思うのだが、どうもそういう企画も行われていない。少なくとも大
々的には行われていない。
 その点では酒田の方が積極的。ぶら探酒田という催しが春から秋にかけて年に6回、第2土曜の午前中に行われて、歴史探訪の街歩きを行うと200人以上の市民が集まることもあった。

山居倉庫一帯の歴史と景観は大事

温井 動きつつある酒田の開発について気になる点を二つ挙げたい。
 本港から山居倉庫、商業高校跡地と水辺がつながりつつある。その中には漁協があって、これまで漁業と観光は別々に考えられてきたが、いかにも時代遅れ。東京の築地、豊洲を見れば、外国人旅行者を含め、築地は東京観光の目玉になっている。外国人が関心を示すのはマグロの競りなのだ。
 それから商業高校跡地。江戸時代以前にさかのぼると、おそらくここが河岸八丁以前の港であり、湊町酒田の発祥地ではなかろうか。物資が集まる川の合流点に何重にも堀に囲まれた水城があり、たぶん素晴らしいところだったろう。
 そういう場所の歴史性を大事にしなければならない。そして言うまでもなく水辺の一番の売りは景観である。横浜など水辺の景観を生かしたアーバンデザインを参考にしてほしい。売り上げや集客だけに目を奪われた、近視眼的な開発はしないようにする必要がある。
 それから最近の再開発で心配なのは、事業プロポーザルで全部セットになってしまっていること。元来、建築は設計と施工を分離すべきだと言われてきた。施工会社の中で設計すると、施工が優位になり、設計は当たり障りのないものにしておいて、施工しやすいもの、結果として利益の上がるものになっていく。
 日本建築家協会も、設計を分離するPFIの普及を図ると言っている。設計の質が担保されるよう、市町村には考えていただきたい。
 最後に面だが、これはようするに住宅。住まいをこれからどうしていくのか。これが一番手ごわい。山形市ではマンションが建って中心部の人口が少し増えている。しかしマンションで都市はできないから、別のことを考えないといけない。庄内の場合は、不動産会社の人が「マンションを建てても、入る人がいない」と言っているが、まさに中心部に住む魅力から考えなければならないだろう。
 その点、鶴岡市は全国的にも先進的な都市計画で有名。その一つが15メートルの高さ制限を設けたこと。だからマンションが入ってこない。その中で都市型の住宅をやろうということだが、どうやってやろうというところまでは進んでいない。
 コンパクトシティーについても、近年、市街化調整区域の線引きをした。やらなくていいと法律が変わったのに、全国で唯一かな、鶴岡市はやった。そういう意味で先進的。次は新しい日本の都市の住まいは具体的にどうあるべきかを考え、実現していく必要がある。


半径300メートルに人口3千人が成功の目安

髙橋 温井先生の線から面にする話だが、山居倉庫の対岸を会場にして、私たちが一昨年から取り組んでいる「山居バル」がまさにその考え方。コロナ禍で年1回くらいしかできなかったが、7~10月の4カ月連続で開く計画になっていた。もともと若手市職員があの場所ににぎわいを作りたいということで始めた。
 今回の中心部に手を入れていく計画の一つは商業高校跡地、それから山居倉庫にもやがて手が入るが、山居倉庫対岸のここが真ん中で、温井先生が言われるようにポイント。線でつなげて面に持っていかないと次の展開が無い。そのために山居バルを開いて、山居倉庫の対岸の岸壁を使っていきましょうと。
 好評で出店希望者がかなり増えている。今年には倍の規模になり、海鮮市場まで伸びるといいなあと思っている。山居倉庫の対岸は将来は商店街になるべき。新しい形の商店街。古い中心部の商店街は、旧市街地のための生活関連の商店街。
 コンパクトシティーというが、どの程度がコンパクトシティーの目安になるのか。経験的に分かっているのは、中心地の半径300メートル圏内に3000~3500人の居住人口があること。それくらいの集積がある区画は例外なく繁栄している。日本全体でも世界的に見ても同じ。面白いことに百年前でも同じ。人は徒歩5分圏内で生きている。
 酒田の現状は中心地の半径300メートル圏内に950人しか住んでいない。だから2千人集まればいい。酒田は郡部に3万人が住んでいる。3万分の2千、15分の1の人が中心地に移り住めば、コンパクトシティーが成功する。目標値があるといろいろな方策が出てくる。生活の利便性をどう確保するのかなど、いろいろ考えられるようになる。
温井 全体の人口減少はそれほど気にしなくてもいい。魅力的な核、暮らしがあり、生業があればいい。スーパームーンの夜にライトアップされた山居倉庫の前で、矢野さんと小鈴姐さんが対談し生配信したというニュースを見たが、あれはかっこよかった。
 とても洗練されていて、世界で戦える。世界中の人に、次は酒田に行ってみたいと思わせる映像だった。ああいうものを見ると、都市の中心部がなぜ必要なのか、歴史的な建築をなぜ保存しなければならないのかが分かる。そうした都市や建築が残っているところにしか、人は来ないのだから。


観光客が夜散策できる街を

司会 庄内は歴史的、文化的な施設がたくさんあるが、それをどう活用していくか。
矢野 旅館のお客さんが浴衣を着て酒田の街中へ繰り出すと、若干浮いてしまうのが酒田の中心街の現状。そぞろ歩きできる雰囲気づくりや、山居倉庫のライトアップも数年前から始まっているが、まだまだ圧倒的に明かりの数が少ない。温かみのあるオレンジ色の灯りなどが情緒があって良いのではないか。街の中心地に宿泊する観光客が夜散策したいという気持ちになるようにしていきたい。
 堤防の活用という部分では、人が座っておしゃべりできる場所が無いような気がする。京都の鴨川沿いはベンチではないが人が座って休める。そういう休めるスペース、機能は街の中にあってほしい。社会学的には街のベンチの数とコミュニケーションの相関関係は高いようで、ベンチの多いところはコミュニケーションの量が多く、非行なども少ないといわれている。
 トスカーナの話もあったが、例えば瓦の色は十色のオレンジ色から選ばなければならないなど、ヨーロッパでは厳しい景観条例を作って景観を守っている。行政主導でしっかりやった方が、街に入った時の風景の統一感にインパクトがある。そういうことも考えてみた方がいい。
髙橋 山居バルのメンバーは十数人いるが、合言葉は新井田川の山居倉庫対岸をセーヌ川のようにすること。憩いの場、遊べる場、いろいろなことができる場所にしたい。

EUは方言保存に予算配分

矢野 方言も歴史の一つの要素。観光客は庄内弁とか聞き取りにくい言葉を聞いて、自分は異郷の地にいるんだ、と非日常を強く実感する。EUでは予算の1%を方言の保存を含む文化保護に使用している。
 方言は目に見えないものだが、消滅してほしくない観光の歴史の大切な要素。先人の知恵も詰まっている。庄内では鶴岡と酒田でも違う。酒田の街中と漆曽根と局でも違う。すごく特別なもの。大事にしたい。
温井 有力者や為政者の関連施設だけが歴史ではない。商店や住まいなどの庶民の生活空間や暮らしが分かるものが大事。映画「ローマの休日」は王女様が体験する庶民の暮らしがテーマ。アイスクリームを食べてみたり、テベレ川で踊ってみたり。庶民的な人がいっぱい出てくる。ああいうものが無くなってしまうと、ちっとも面白くない。重要なのはこの先、面的なもので、そこに人が住んでいないといけない。そこに方言を話す人がいる、そういうことを味わうのが観光の経験。
 観光庁ができる時に重要な役割を果たした木村尚三郎は、都市観光について「住んでよし訪れてよし」と言ったが、まちづくりと観光は一緒。観光客が来て「いい街ですね」と言わない街に人は住まない。若い人はどんどん出て行ってしまう。
 観光客にしても、住んでいることを誇りに思っている住人がいないところは駄目。今のところディズニーランドとかに人は集まっているが、これからは酒田や鶴岡みたいなところで、豊かな暮らしをしている地方の人たちに交わるというのが一番面白いということになるだろう。それにいち早く気付いているのが外国人。
 そういう意味でいうと、庄内にはゲストハウスが少なすぎる。鶴岡には一つ、小野寺美佐子さんの「いこいの宿 農」があるが、京都には町屋を改修して3千円くらいで泊まれるものがたくさんある。飛島でも始まったようだが他には無い。
 酒田市では高野浜(南新町)に元遊郭の旅館が残っているが、積極的に営業していない。全国では遊郭や吉原の研究は随分進んでいる。酒田には明治の建物で文化財になるようなものが残っている。「海望楼」と左官がこてで書いた屋号を掲げた、立派な表構えの旅館もあるが、行政も興味を持っていない。小幡楼ほど改修費はかからず、費用対効果は大きいはず。

近隣市とのつながり発掘し誘客

國井 去年から展開しているのがマイクロツーリズムの推進。本格的なインバウンドの回復にはもう少し時間がかかる。その間はマイクロツーリズムで比較的近くの隣の街をよく知ろうという動き。GoToトラベルまでのつなぎとして、県民が県内を旅行した際に宿泊とお土産の購入に県がポイントを付与していたが、今度は秋田、新潟、宮城と隣接する県に範囲を広げる。
 庄交コーポレーションでは、秋田県由利本荘市とにかほ市、新潟県村上市と胎内市、それと鶴岡市と酒田市の計6市と、当社庄交トラベル事業部が個別に観光連携協定の契約を進めている。例えば村上市に酒田市民が旅行に行き瀬波温泉に一泊するという企画をする時に、酒田市民から何が動機づけで村上市にいってもらうか。その動機づけとなる経済的なつながりや歴史的なつながりが、探ると何かしら出てくる。
 歴史を大切にしながら、鶴岡市から観光客を呼ぼうと話している。酒田市も行政が主導して、三十六人衆がたどってきた所は酒田市民も訪ねているが、もう一度復活させる。にかほ市と酒田市の昔からのつながりを丹念に堀り起こそう。それが観光の素材になる。
 自分の街のいいところはここだということを、行政職員が認識して自信を持って他の街に紹介できるというものを、庄交コーポレーションで作る。それをわが社がマイクロツーリズムの契約をしているところに紹介していく。お互い様だから一つの商品で自分の市以外の五つの市から誘客できる可能性がある。こういうやり方をすると、いろいろなことが観光の材料になる。

信長、秀吉と渡り合った商人たち

阿部 今年は芭蕉が奥の細道を歩いて333年になる。点在する芭蕉の足跡をたどっている人は全国にけっこういる。しかし、山王商店街のすぐ近くに3泊もしていることを知っている人は、地元にもほとんどいない。目玉にしてもいいのかなと考え、ここにしかないものは何だろうと考えた。
 あいおい工藤美術館の工藤幸治館長が「なんでも鑑定団」に出て、800万円の値が付いた芭蕉の真筆は、実は私も随分前に見ていた。こうしたものはまだまだ地元に眠っているのではないか。酒田には1週間も泊まっている。どなたか持っているのではないか。そういうものを調べてみたい。
髙橋 観光地に行って結構魅かれるのは人物像で、ここにこんな英傑がいたというもの。酒田、鶴岡も結構いる。よく小説になるのは戦国時代と明治維新だが、戦国時代には三十六人衆の移り変わりのころで、粕谷家だ上林家だと地侍兼商人がたくさんいる。その人たちの生涯にスポットを当てて、こんな時代背景の中でこんな一生を送ったということを伝える。北前船の繁栄する前に戦国時代に命を懸けて武器や食料を運んだりして財を成した人たちがいた。酒田の商人は信長や秀吉と渡り合っていた。
 徳川の時代になると、また別の人たちがさっと出てくる。これはドラマの様。粕谷源次郎、加賀屋与助など、江戸中期になれば本間光丘、本間宗久など名前も生涯も分かっている人たちがたくさんいる。司馬遼太郎が書いてくれたら、酒田は一大観光地になったのではないか。人の一生は案外心を打つ。そういう人物の情報発信をして、ゆかりの地やものを見たくなるような物語が欲しいと思う。
西村 2020年11月に、酒田市の「本間美術館を中核とした酒田湊町文化観光振興拠点計画」が文化庁の経費助成事業に認定された。美術館や博物館といった「地域のミュージアム」が地域資源・観光資源になるという大変良い視点での認定だと思った。庄内のミュージアム計13施設の連携をこれからもっと深めていき、大きな観光資源にしていくべきと改めて感じている。
 一方で、美術館や博物館も含む史跡や文化財の保護活用には、大変な費用がかかる。入館料収入だけではもうどうにもならず限界に近づいている。美術館や博物館の館内に宿泊施設を併設するべきではないかと考える。それによって特別感、高級感、限定感を出していき、今までとは違った視点でお金もうけを考えていかなければならない。これらは地域の大きな問題。皆で真剣に考えていかなければならない時期に来ている。

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