新春座談会
人口減少後の都市モデル描く時
「暮らし続けたい、ふるさと創り」[2]
地震や大雨などが相次ぎ、一方で人口減少により地域社会の維持が難しくなっている中、どのようにすれば、私たちが安心して楽しく暮らしていけるまちにすることができるのか。本紙主催新春座談会の連載2回目は、都市構造や空き家問題、郊外地域の人口動態の実態、地域内での移住、観光による地域振興などを話し合った。(司会は本紙編集主幹・菅原宏之、編集部課長・土田哲史)
髙橋 剛 氏 (株)丸高代表取締役会長
酒田市出身。同市の(株)丸高代表取締役社長を経て、2024年8月から現職。いろは蔵パーク(株)代表取締役、県建設業協会酒田支部代表理事、旧清水屋エリアを核とする中心市街地再生協議会副会長を務めている。
小池 健太郎 氏 小池不動産事務所
鶴岡市出身。華専門学校卒。都内不動産会社に勤務し、30歳を機に現在の仕事に従事。宅建協会鶴岡役員を務め、空き家相談会やNPO法人つるおか・ランドバンク委員会に協力。鶴岡商工会議所青年部会長。
中野 律 氏 DEGAM鶴岡ツーリズムビューロー鶴岡ふうどガイド担当
鶴岡市出身。総合商社などを経てUターン。藤島商工会の商業スペース運営などを務め、2012年鶴岡食文化創造都市推進協議会に入り庄内酒まつりを企画運営し、鶴岡ふうどガイドの人材を育成。20年から現職。
加藤 勝 氏 鶴岡市三瀬地区自治会長
鶴岡市三瀬出身。三瀬地区自治会長を務めて現在13年目。住民一人一人が活気にあふれ、安心安全に過ごし、皆で助け合いながら三瀬で過ごせるように意識し、努めている。
菊池 俊一 氏 山形大学農学部准教授
青森市出身。博士(農学)を2002年に取得(北海道大学)。1992年から北海道大学農学部助手、2009年から山形大学農学部准教授を務める。専門は森林科学、攪乱生態学、流域環境保全学。
中心部に2千人増えれば活性化
司会 都市構造について考えたい。昨年の大雨では、災害が多発する中でどうやってまちを作っていったらいいか根本的な問いを突きつけられた。髙橋さんは酒田商業高校跡地の開発や旧清水屋跡地の問題などに関わっている。これからのまちづくりはどのような視点で進めていくべきか。
髙橋 これからの人口減少時代には、まず「基本的な考え方」を変えないとだめだと思う。それは「新しい公平感」だと思う。今までは政治にしても行政にしても、みんな平等に扱いましょうという考えがベースにある。何を平等に扱ってきたのか。生活水準のことだ。
ある程度の年齢だと分かると思うが、戦後の町中と山村部では生活水準が全く違っていた。山村部は道路が砂利道で、冬は雪の上を馬そりが走り、トイレは汲み取り式だった。それが今では都市でも山村でも全部同じ生活水準になった。それだけの社会資本を投じて整備してきた。それは一つの方向であったし国の成果であると思う。だが、すべて行き渡ったら人が減り始め、バランスが崩れてきた。生活水準を維持するためにかかる行政コストが、都市部と山村部では住民1人当たりで十数倍は違うようになってきた。これは本当に「公平」なんだろうか。
人口が3割減った時にどんなまちにすれば最も機能するようになるか、先にモデルを作り、そのモデルと今のまちの姿をどう結ぶかを考えていかなければならない。企業の経営改善でも、大胆な改革をする時は先に完成形を想定して、その完成形と現在をどう結ぶかということをやる。痛みは伴うかもしれないが、改革は進めながら細かいところを微調整していく。改革はそういうふうにやらないとできない。
今はそういったことをやる青写真を作るべき時期だと思う。大本の考えには先程述べた「新しい公平感」を導入することが重要。
また人口減少が進む酒田市にはコンパクトシティー化が喫緊の課題だが、まち全体のコンパクト化がまちの中心部の活性化につながるという考え方が大切。
酒田は周辺部に3万人いる。中心部の人口があと何人増えれば活性化するか考えると、大体もう2千人ぐらいいればいい。市外から来る人もいるが、地域内で移動するとしたら、市街地周辺人口3万人のうちの2千人でいい。15分の1でいい。移転可能な人が最大で15人に1人いれば、中心市街地は活性化する。
生活を守る地元資本の商業施設
髙橋 店舗などのビジネスを考えても基本はエリア商売だ。コンビニだと500メートルの範囲に何人とか、スーパーだと1キロの範囲に何人とか、商売が成り立つための数字がある。この数字を割り込むと商売が成り立たなくなる。今はその瀬戸際にいる。人口密度が薄くなってきている。商売が成り立つ範囲をまずどこかに作るとしたら、まちの中心部しかない。
都市のコンパクト化がそのまま地域の活性化につながる。後は都市機能の問題、作り方の問題、順序の問題とやっていけばいい。
酒田商業高校跡地に造った商業施設は、もともとは大手資本を連れてくるという計画だった。ここに大手が入ったら町中は干上がると思った。人口減少が進めば、先ほど言った商売エリアが合わなくなってくるので、そうなると大手は必ず撤退する。地元資本が勝負に負けた後に大手に撤退されたら、残された市民は生活難民になる。そうならないために、まず生活関連の施設から入れようとなって、地元スーパーが入り、無印良品が入りとなった。
加藤さんも話されたが、人の考え方と心が変わらないといけない。これからは自助努力と相互補助が必要。まず自分で自分の生活を守る気持ちを持たないと助けられない時代。そういった人たちがある程度出てきて初めて相互補助ができる。
それとNPOを作って、生活に困っている人たちへの宅配みたいなことを細々とやっている。何をやろうとしているかというと、まさしくコミュニティ作り。私はまちづくりの最終的な本質は人づくり、人間関係作りだと思っている。
昔はタバコ屋さんとか八百屋さんとか、酒屋さんとか、人の集まるところがあった。うちの家内が「このゆび商店」という店を中町に開いている。このゆび商店に食料などを置いて、いずれは便利屋機能も設けたいと考えている。
このような店が300メートル範囲に1カ所あると、家から歩いて5分で行けてとても便利だと思う。元気なおばちゃんに店番をしてもらって、お茶飲み場になればいい。宅配便の集荷場所にも、食料品店にもなる。
この店が300メートル範囲の人たちが集まるコミュニティになればいいと思ってやっている。このゆび商店とは、要するに「この指止まれ方式」だ。やる気のある人たちで集まりませんかということ。そこからどんどん形ができていって、地域の中で意味のあるものになっていけば活動は広がっていくだろうという考え方。
旧清水屋エリアについては、なかなか話せる状況にはないが、まちの中心部が廃虚になれば大変なことになる、という危機感はみんな持っている。だが、民間だけではできない。行政にも入ってもらって、どうやったらできるのかということを考えている。
コンパクトシティーは余白が必要
小池 鶴岡市には、つるおかランドバンクという空き家バンクがあり、年3回の相談会を開いている。宅建の資格を持っている方や司法書士・解体業者などが相談員となり、多い時には1回40人程度、年間100人ぐらいが来る。相談の入り口がどこか分からないから来た人がとても多い。そのためだけに遠方から来る。
なかなか進んでいかない状況としては、登録する物件は相当な数があると思うが、例えば一つの空き家があって、その隣がまた空いてとつながってくることがある。ここを連鎖して再開発できないものかと取り組んだ時もあったが、うまく進んでいかない。あと一押しは行政の手助けも必要ではないかと感じている。
そのようなエリアは昔からの中心地で道路も狭い。でも住みたいという人は一定数いる。銀座通りとか昭和通りとかで商売している店の近くに家が欲しいとか、うまくマッチングできればいいなと思う。
鶴岡はコンパクトシティーに取り組んでいて、一定の成果は上がっていると思う。国は地方再生のモデル都市(地方再生コンパクトシティー)として全国32都市を選定しているが、山形県では鶴岡市が唯一選ばれている。
では実態はどうかと聞かれれば、鶴岡市体育館を解体して鶴岡市文化会館を建て、ハローワークと税務署を移転させて第2号合同庁舎が完成したが、公共物ばかりで民間の入る余地が無くなったという感じがする。市役所周辺でご飯を食べようと思っても食べる所が無い。そういう余白の部分がコンパクトシティー構想には必要だったのではないか。まちとしてはきれいになったが、古き良き煩雑さが無くなった印象を受ける。
酒田港にクルーズ船が入港すると、致道博物館に外国の方が多く来られるが、土産を買う場所もお茶を飲む所も無く、来て頂いて非常にもったいなさを感じる。
このエリアは用途地域で単独の店舗や事務所を構えることができない。観光誘客を考えるのであれば、特区にするなど従来とは違うやり方が必要ではないか。羽黒手向地区は景観の維持保全に取り組んでいるが、中心市街地の景観も考えた方がいいのではないか。
司会 民間活力を、今の中心市街地ではまだ使い切れていないということか。
小池 中心市街地で店舗を探している人たちはいる。昔と違って小さい店舗。今は副業がスタンダードになりつつあると思う。小さい店舗とか事務所が欲しいという声も聞くので、既存の建物を生かして中心市街地で少し回遊できるような仕組みができないかと感じる。
若い世代が市街地に移住していく
加藤 人口動態で郊外地域の三瀬地区がどうなるのか、シミュレーションしてみた。2017年の人口は1500人。それが現在1200人を切った。最終年度の2030年には800人になるだろうという。
それから見ると減少進度は若干遅くなっている。移住者も30軒ほどある。小池さんが言うように別荘的な要素で買っている人。都会から来たスパイバーの人が、三瀬を気に入ってくれた例などもある。にもかかわらず人口は徐々に減っている。
スーパーも無くなり銀行も無くなりガソリンスタンドも無くなり、旅館も現在2軒しかない。元気なのは琴平荘のラーメンしかない三瀬だが、その中で髙橋さんが先ほど言った話に共感できるところがある。
6月に防災講演会で、熊本市の大西一史市長を呼んで話を聞いた。まさに髙橋さんが言っていたこと、この社会の公平とは何だろうということを話していた。
将来を考えた場合、せっかく三瀬で親世代と同居していた若い皆さんが出ていく。「結婚して子供ができて良かったな」「2人目だったか良かったな」と言っていると、その若い人たちが出ていく。家庭内の不和があるわけ。親に若い人を大事にしてくれとお願いする。そんなことから始めないと今の人口減少の進度は止められない。
三瀬は新年度の新1年生が3人しかいない。由良と堅苔沢との統合小学校なので、全体では新1年生は8人ぐらい。人口が増えるというのは無理な話だから、今いる若い皆さんを、じいさんばあさんが何とか止めるようにしてくれと。人口減少に歯止めをかけるには、そういうまさに時代に合わせたことをやるしかないかなと思っている。壮大な歯止め策なんてない。
空き家も100軒ある。世帯数は450軒なのだが。若い世代が出ていき鶴岡市街に家を建てる。当然帰ってこない。親は歳を取って間もなく亡くなる。そこも空き家になる。頭が痛い。
悲観的なことを言ったが、三瀬はまだいい方。よそはもっとひどい。軒並み空き家となっている。高齢化率は6割程度だろうか。60歳以上が老人という定義から言わせれば。
食の理想郷へ多様な道程で
司会 中野さんはどう進めたらよいと思うか。
中野 鶴岡はユネスコ食文化創造都市を目指すきっかけに6市町村合併があった。それぞれの地域が持つ歴史や文化、行政目標が違う中で新鶴岡市を創るに当り、地域が違っても参画できる共通の価値観として「食」をキーワードにしたまちづくりを目指した。創造都市認定を目指した時から「食の理想郷へ」という壮大なテーマを掲げている。
昨年創造都市10周年を迎え、私は壮大なテーマで良かったのではないかと思っている。例えば、登山を考えた時に頂上という目的に対して、ルートは一本ではない。登山口はいろんな方向からあり、自分で考えたルートで目的を目指す。そして頂上で見る景色、味わう感動は人それぞれ。
まちづくり、地域づくりも同じで、職種も違えば住んでいる環境も違う中で、淘汰され過ぎると自分は関係ないみたいな感じになってしまう。自分が見たい食の理想郷をそれぞれが描いて、そこに向けたアプローチの仕方はいろいろあってもいいのではないかと。
近年、観光ではその土地の食材や食文化を楽しむガストロノミーツーリズムが注目されている。鶴岡は創造都市になってから、行政と民間が一体となり食文化事業を推進してきたこともあり、ガストロノミーを感じるまちとして形づいてきたように思う。
しかし、世の中には宗教やヴィーガンのような菜食主義者などさまざまな食習慣や、病気が原因で食事に制限のある人がいる。こうした人たちに向けた対応はまだまだ足りていない。誰もがガストロノミーを感じる食文化体験を提供することが、ここ鶴岡、庄内では可能だと思っている。
もともと流通業界にいた私は、髙橋さんの「このゆび商店」の構築に似た事業に関わっていたことがある。商店街の真ん中に長年あったスーパーが広い駐車場の郊外へ移転した。そのときには、活気のあった商店街から多くの商店がなくなっていた。スーパーがなくなって暮らしの空洞化になっては困ると、商工会が生活に必要な食料品店、服屋、雑貨屋などをまとめた商業施設を、その跡地に造った。
大型店に慣れた人たちには、人がまばらな店内で一対一の雰囲気になりうる商店街の小売店を利用するのは、ハードルが高い。でもこうした地域の商店のアンテナショップのようなものがあれば、ハードルは一気に下がる。商店に足を伸ばすきっかけにもなる。
町中の商店を利用する多くはお年寄り。1人暮らしの方が同じものを毎日買っていくようになり、そのうち旧札で支払うようになって、これは何かおかしいと家族の連絡先を聞いて連絡したこともあった。まちに住む人の集まる場所であって、変化に気づく役割を担っていたのが商店街のコミュニティだった。
私の職場がある鶴岡駅前も、夜は居酒屋でにぎわうが昼はランチを取れるところが少ない。私たちの暮らしやすい日常と、観光客の目線で考えるまちづくりは、似ていないようで似ている部分もある。コンパクトシティーを考えるとき、双方の見方も必要なことと思う。
災害地域を緩衝地帯にできないか
司会 攻撃的な撤退という話があったが。
菊池 今日の座談会は、昨年7月に我々が遇ってしまった大雨災害という話題からスタートした。この大きな災害発生というタイミングからすると、被災された方々に大変失礼な物言いに聞こえるかもしれないが、一方ではこれまでの考え方を見直す良い機会が来たともいえるのではないか。まちづくりの考え方を根本から変える機会が来ていると思っている。
先ほど話したように、気象条件がこれまでと全く変わってきている中、今回と同様か、あるいはさらに大きな災害が、今回とは違う地域で発生するかもしれない。つまり、災害の激甚化、頻発化が露わとなってきている。
そこからすると、地質地形条件から災害に対して脆弱な地域では、水害や土砂災害が起こる危険性が高いのだから、そこに住むという土地利用はしない、という選択もあるのではないか。そして、もう考えているだけでなく実行に移す時が来ているのではないかと思う。
移住する先としては災害リスクの少ない平地の町中がある。いわゆるコンパクトシティーを実現させながら災害リスクが非常に高い地域から、未来志向の撤退をしていくという考えだ。
先ほど話したグリーンインフラは多機能性を持つ。多機能の一つに、生物に住む場所を提供するという機能がある。昨今、各地でクマによる人的被害がよくニュースとなっており、イノシシあるいはシカ、サルといった野生鳥獣による農業被害も深刻になってきた。
これは結局、私たちが住んでいる地域と彼ら野生鳥獣がすむ地域が重なる、あるいは近接・隣接しているから、そこに軋轢、事故が生じているのだと思う。したがって、彼ら野生鳥獣のための空間と、私たち人間のための空間の間に、緩衝地帯を設けることが一つの解決策になると考える。
先ほど話した災害に脆弱であるがために撤退した空間を、この緩衝地帯に充てることはできないか。そのように考えれば、災害の激甚化・頻発化、野生鳥獣害の日常化、さらには生物多様性の劣化といった、私たち社会全体が抱えているいくつもの課題が、そろって解決できるのではないか。
ある場所に長く住んでいることには、一言では言い表せない歴史や背景、経緯がある。それらを大切にしつつ、未来志向の課題解決策として、災害リスクの高い地域からリスクの低い町中に住み替えていただく。子孫はコンパクトシティーで安全安心な生活が保障される一方、撤退した地域はグリーンインフラの多機能性を充分に発揮できる空間として確保される。このような意味合いで攻撃的なというか、前向きの未来志向の地域からの撤退という考え方があってよいと考える。
髙橋 今回の災害は、ちょっと言うのは早いが、もしかしたら一つの転機になるのではと思う。危険な地域から移転しませんかと。コンパクトにしましょうと言っても結構難しい。災害から安全なところに身を置きましょう。そういう意味で移転しませんかというのは、今の枠組みの中でもできる話なので非常にいい話だと思う。政治と行政が絡むところがあるので、是非いろいろ理解していただいて一緒に動ければいい。
菊池 続いていく未来に対しての「移転」という選択。
鶴岡ふうどガイドで地域に貢献
司会 人口減少に対応するため、移住の促進や交流人口の拡大、人口維持のための産業の維持も必要になってくる。中野さんは鶴岡ふうどガイドとして交流事業の拡大や、農漁業など食に関する産業の維持・進展に関わっていると思うが。
中野 鶴岡ふうどガイドが誕生してちょうど10年目になる。ふうどガイドをつくるときはボランティアガイドが多く、有償ガイドでもわずかな金額のところが多かった。私はもともと流通業にいたので、ベースに「稼ぐ」がある。疲弊しないで継続するためには、対価をつくらなければいけないと考え、有償ガイドにした。
その後、地域の魅力ある食文化メニューを現場の人とつくるが、当時はこうしたものに値段が付けられていなかった。生産者の方々は「食材を知ってもらえれば」「誰々さんからの紹介だから」と一番稼げるときに時間を割いていた。手間のかかることをお願いしているのに、無料や千円ほどの菓子折はないだろうと思っていた。こうした食に関わる人を先生と呼び、薄謝ではあったが謝金を払い、対価をつくりながらメニューづくりを進めていった。
現在は、ふうどガイドへの依頼も増え、8年間連携している旅行会社の旅行代金は、コロナ前より1・5~2倍になり、集客も伸びている。ふうどガイドが関わるツアーで地域貢献もできるようになっている。
最初は地域の人たちと体験メニューをつくるとき、何もない何もできないと言う声が多かったが、今は何かやろう、これもやろうという人たちがすごく周りにいる。最初は年金以外の稼いだお金で孫に菓子を買ってあげる喜びなどを考えていたが、旅行者が喜ぶ姿が地域を明るくしてくれると気づいた。持続可能なものにするためには対価も必要だが、やりがいも必要。
旧豊浦村で交流を促進中
司会 郊外地域は農漁業が多いので移住は難しいと思うが、自然環境を求めて移住してくる人もいる。
加藤 人口が減る、人がいなくなるということはコミュニティの崩壊に直結するので、非常に危機感を持っている。それだけは避けたいという一念で動いている。
戦略は二つあり、一つは地域とはどういうものかを発信すること。その良さを若い皆さんに訴えて定着を図ろうということで、例えば山、それから海をアピールしながら、地域内外に発信している。いろんなマスコミ、媒体を活用しながら、三瀬は動いているという姿を見せてやりたい。
もう一つは、三瀬出身者、いわゆる同窓の皆さん。都市部、関東とか関西で生活している皆さんも定年になったので、帰巣本能をくすぐるではないが、地域の広報誌を送り付けて見てもらう。即効性は無いが、ある程度の帰巣本能はあると私は信じているので、それに期待して動いている。
それから移住者が30軒ほどいるが、それでは足りないということで、いろいろな関係人口、交流人口の創出を図っている。菊池さんの山形大学の皆さんも取り込んだりして、いろいろとお世話になっている。そういう活気のある地域づくりをやりながら、地域住民全体でそれを共有していくことも、地域を明るくする話題になる。
近隣の皆さんとの付き合いも進めている。地域行事も人がいなくてできなくなっている傾向にある。お祭りなんかもお互いに助け合ったりしながら動いている。例えば三瀬、由良、小波渡、堅苔沢は旧豊浦村なので、「昔の豊浦村に帰ろうぜ」と言ってやっている。近隣の山五十川なども含めて関係を取りながら、交流人口を増やしていこうとしている。住民の取り合いをするわけではなく、仲良くやっていこうという気持ちでやっている。
菊池 うちの大学は1学年が160~170人なので、それが3学年でおよそ500人いる。それに大学院生が加わるので、常に600人ほどの若い世代がいる。これから自らの力で未来を切り開こうという志を持った世代だ。しかしながら、これまでは地域の皆さんと触れ合いを持つということが得手ではなかった。
私は、そのあたりの学問の専門家ではないが、地域の皆さんと交流を多く重ねることによって、地域の良さを正しく知ることができると思っている。だから、学生600人の中で数人、いや十数人でも全く構わないのだが、地域との交流の中で地域の良さをきちんと知り、「よし、ここで生きていこう」というような若者が現れてもおかしくない。
そう思いながら、さまざまな地域に、とりわけ三瀬の皆さんには大変お世話になっているが、学生を連れ出して地域の良さに触れる、あるいは地域の皆さんの人柄を知るということを、大学人として繰り返している。それが少しでも交流人口を増やすことになったり、移住者という形になっていけばいいなと願いながら。
座談会は11月30日、三川町なの花ホール情報展示室で開いた