郷土の未来をつくるコミュニティペーパー(山形県庄内地方の地域新聞)
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庄内で、他県で、今年も活躍
新年の抱負 ─災害復興・町おこし・漁業・スポーツ─

 災害復興支援組織代表、新規漁業就業者、シェアハウス施設長、デフサッカー選手として新年も活躍が期待される、Uターン者や移住者、地元出身者の4人に抱負を伺った。

大沢復興の仕組みを作る

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合同会社ココサト代表
阿部 彩人さん

 昨年7月の大雨で大きな被害を受けた酒田市大沢地区で、代表を務める合同会社ココサト、農村RMO(地域運営組織)大沢わぐわぐ未来協議会、被災後に同地区在住・出身の若者たちと立ち上げた酒田やわた未来会議の3組織で復旧復興に取り組み、「みんなの心のよりどころ」となる新たな地域づくりを目指している。
 発災直後から被災現場を訪ね、被害の状況や復旧に取り組む住民とボランティアの姿を動画に収めて、ユーチューブで発信してきた。それらの映像をドキュメンタリー映画のようにまとめて外へ発信し続けたい。
 住民同士はもちろん、災害を受けて新しくつながった人たちと住民をつなぐ、やわた未来食堂を開催。対象範囲を大沢地区から広げて、八幡地域全体の若者が集い未来を語り合う場を作る。
 水路が埋まったり土砂が入ったりして、作付けができない水田が多いことから、農村RMOでは被害の少ない水田や遊休農地で、マコモダケや行者ニンニクなどを栽培して、地区外の人手も受け入れて、新たな農業の仕組みづくりを進める。

宮城から移住して漁師に

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一本釣り漁師を目指す
新規漁業就業者
志田 圭さん

 宮城県多賀城市から酒田市へ昨年2月に移住し、4月から第五平成(進藤稔船長)に乗り込んで一本釣り漁師の修業をしている。
 釣りが好きになったのは10年前。ハゼ釣りをしている友人にアイスクリームを届けると、「食べたいから釣り竿を持っていて」と竿を渡され、たまたま魚がかかった。その手応えに電流が走るような衝撃を受け、翌日には竿を買っていた。
 以来、休日は全て釣りに行くようになった。ハゼ、カレイ、メバル、船釣りとステップアップして、何年か経ったころに酒田でマグロが釣れると聞いた。最初は多賀城市から通っていたが、次第に「酒田で暮らしたい」と考えるようになり、移住を決断した。釣りをする中で進藤船長と出会い、漁師のやりがいと面白さを教えてもらった。
 「日本海の魚はおいしい。自分が漁師になるなら日本海だ」と思った。酒田は港から市役所が近く、温泉やおいしいラーメンがあり、暮らしやすく魅力的なまちだと感じている。独り立ちできたら、魚を一匹でも多く獲ってくる気持ちでがんばりたい。

シェア施設の管理に注力

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ブランニュースペースなかまち施設長
藤田 篤子さん

 東京都出身の藤田篤子さんは、2023年4月に神奈川県川崎市から酒田市に移り住み、昨年11月下旬に酒田産業会館向かいの旧五郎兵衛食堂跡に開業した複合シェア施設ブランニュースペースなかまちの貸しオフィスと女性専用シェアハウスの施設長に就いた。
 当面は、1月から入居が可能となった貸しオフィス5室とシェアハウス3室(うち1室に自身が入居予定)への入居者を確保し、管理運営に注力していく。
 過去にシェアハウスで計12年間暮らした経験を持つ。極力モノを持たない生活、足るを知る暮らしを身上としている。きっかけは、13~15歳の3年間を家族でチェコスロバキア社会主義共和国(現チェコ共和国)の首都プラハで過ごしたこと。モノは無くても、心豊かに暮らしている人々の姿に大きな影響を受けた。
 人口減少社会のまちづくりでは、隣人同士が助け合い、支え合う長屋のような暮らし方が見直されてくると確信している。
 今年は移住仲間や地元の人たちと、全員が経営者となって雇われずに働く協同組合の設立に挑戦したい。

アジア太平洋大会で優勝

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デフリンピック東京2025デフサッカー出場を目指す
齋藤 心温さん

 聴覚障害者のサッカー「デフサッカー」の男子日本代表として、昨年12月に開かれた第10回アジア太平洋ろう者競技大会で優勝した。今年11月に開催される、4年に一度の聴覚障害者五輪「第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025」への出場と、優勝を目指している。
 身長178センチ、筋肉トレーニングで鍛えた肉体と体幹など身体的な強さ、巧みなパスが持ち味。アジア太平洋大会予選3試合目のウズベキスタン戦では、ヘディングでゴールを決め、決勝の強豪イラン戦では攻守の要ボランチとして活躍した。外国人選手との競り合いにも負けず、自信につながった。
 デフサッカーはアイコンタクトや手話での意思疎通が大事になる。練習や大会を通して手話も習得中で、さらにチーム内でのコミュニケーションを深めていく。
 サッカーを始めた小学1年から中学高校と出会いに恵まれ競技を続けてきた。現在は新潟県上越市で働きながら健常者のチームに所属し、デフサッカーにも取り組む。常に背中を押してくれた母をはじめ、たくさんの人に感謝を伝えたい。

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