郷土の未来をつくるコミュニティペーパー(山形県庄内地方の地域新聞)
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酒田消防本部
酒田大火の寄贈絵画を廃棄
作者は知らされず憤る

 アート・ブランク美術研究所主宰の画家・小野寺庸介さん(90)=酒田市亀ケ崎=が、酒田大火を忘れてはいけないとの思いで描いて酒田市に寄贈し、同市千石町の旧酒田地区消防組合消防本部・本署大講堂に掲げられていた油彩画「燃える大地」600号が、本人に知らされることなく廃棄されていたことが分かった。安川智之同市副市長らが18日に同市役所で廃棄した経緯を説明して謝罪し、絵画の写真を市民が見られる場所に展示する意向を示した。(編集委員・戸屋桂)

写真
展示されていた「燃える大地」

市長の要請で市に寄贈

 燃える大地は、1976(昭和51)年10月29日に起きた酒田大火の衝撃と、忘れてはならないという願いを込めて、1982(昭和57)年に描いた横3・65メートル縦1・30メートルの大作。
 小野寺さんが目の当たりにした、大火の地を走るように広がる炎、何百メートルも飛び火してあちこちから上がる火の手などの恐ろしい光景、火元や火の見やぐら、焼けていく家々の屋根、遠くに見える寺町、父の怒りの拳や母の涙、渦巻く市民の怒りや悲しみを表現した。
 詩を添えて、同年の市総合文化センター竣工式オープン記念事業で発表した。当時の佐藤三郎本間美術館長と相馬大作酒田市長から「この絵は公共のものとするべき」との話があり、市に寄贈した。ふさわしい場所として酒田地区消防組合消防本部に掲示された。

ずさんな管理と判断

 説明によると、消防本部が同市飛鳥に移転した後も千石町に残った消防本署を、解体して船場町に新築移転するため、2017年3月に絵画を梱包して旧港南小学校に移動した。
 21年11月に新消防本部が完成し、23年8月に絵画を消防本部に運び梱包を開けたところ、変色して無数の穴が開き、絵具の剥がれもあったことから、当時の消防長が最終的に廃棄処分を決め、絵画と詩を一緒に焼却した。寄贈品を廃棄処分にしたことは市に報告しなかった、という。
 今年1月下旬、小野寺さんが「親類が来るので見せたい」と消防本部に連絡したところ、「作品の所在が不明」と言われ、初めて無くなったことを知った。小野寺さんと家族はショックを受け「消防署として酒田大火を忘れないようにと描かれた作品を捨ててしまっていいのか」と憤り、経緯を調べて説明してほしいと同市と同本部に求めた。
 説明を受けた小野寺さんは「廃棄する前に連絡をくれていたら、修復することもできた。大変ショックだが、酒田大火を忘れてはならないという思いだけでも受け継いでもらうため、作品の写真と詩を市民の目に触れるところに展示してほしい」と話した。
 安川副市長は「管理の不行き届きだった。寄贈されたものを処分することはあるが(寄贈者に)了解を取りながら処分し、直すものは直す。そのプロセスを踏んでいない。今後は管理の仕方を徹底していく。広島市では原爆に関する作品の展示を毎年行っている。市民の目に触れることがあれば、記憶はつながれていくと思う」と話した。

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